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年齢からすればまだ若手だが、年季は入っている。社長に就いたのが二十八歳、七月で十五年目となる。「縁があってこの会社に入った人に将来を任せるのもいい」と最近は思っている。一つの企業を経営する者としては「もう出がらしですよ」と冗談めかして言うが、その言葉の裏には自信がうかがえる。
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| 「僕が会長に」 |
米国留学の終わりに先代の父、善一氏から電話がかかってきた。何をしたいかと尋ねる父に「父さんが社長で、僕が会長というのはどうだ」と話すと、いきなり電話を切られた。
半分は本気だった。「前に勤めた大手証券を軍隊に例えるなら、うちは野武士の集まり。会社じゃなかった。きっちりしんなんやろ、というのがあった」
帰国して一ヵ月ほど営業をしていると、突然、父から社長を譲ると言われる。「元気なうちに交代したかったのでしょう」と今なら思うが、当時はさすがに驚いた。父は相談役になった翌日から会社に顔を出さなかった。「代表にして追い詰める状況にしてくれたことを感謝している」 |
| 勝手に売れた |
目の当たりにしたのはバブル経済とその崩壊だった。客が店に来るなり「はい、これ」とBMWの新車を指差して買っていった時代である。顧客満足度という考えは不要だったのだろう、勝手に車は売れた。
ところが、半年後。湾岸戦争が始まると店では閑古鳥が鳴きだした。輸入車ディーラーは完全な買取方式なので、売れる見込みで発注した分が在庫となった。
「社長になって最初の仕事が資金繰りだったんです。毎月何億円もの金が足りない。若造が金を貸してと頼んでも、これが難しいんですよ」
最後は善一氏が登場し、地域の信用金庫で一緒に頭を下げてもらった。まだ金融機関に対して信用がないなと感じたという。評価される企業にならなければいけない、と最初の試練で身にしみて分かった。 |
| 満足度高める |
グループの子会社にはそれぞれ社長を置いている。タリーズコーヒーとフランチャイズ契約し、関東で店も出している。会社としての形は整えたと思う。
景気低迷のせいか、オンリーワンというのがはやったが、やっぱりナンバーワンになりたい。販売台数はもちろん、顧客の満足度も高めたい。国産勢も交えて高級車市場の競争は激しく、「これでいいと思ったら落ちる。僕ら小売業は成長しないと元も子もない」。だから一番を目指すという。 |
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